松尾芭蕉の秘密

 

 

誰でも聞いたことがある「かごめかごめ」という童謡。新聞やテレビなどのメディアもなく、関所で人の行き来が制限されていた時代に、どうして日本全国に広まったのでしょう。不思議に思いませんか?そのカギを握るのは「松尾芭蕉」。

 

その芭蕉の正体についてのお話です。

 

その前にひとつ。天下を取る人間は、初めての何かを成し遂げるといわれます。では徳川家康が世界で初めて作ったモノって何かわかりますか?それは「特殊部隊」です。

 

今ではアメリカのSWATなどが世界で有名ですが、初めて作ったのは徳川家康です。では、徳川家康が作った特殊部隊とは何か。それは「忍者」=「暗殺部隊」なんです。徳川家康は忍者の養成機関を作り上げたんです。

 

その長を務めたのが、皆さんご存知の服部半蔵。その功績を称え、服部半蔵に与えられた土地の名が今も残ってます。皇居、つまりかつての江戸城のすぐ近くにある「半蔵門」という駅。東京メトロの路線名にも「半蔵門線」として残っています。余談ですが、歴史上「服部半蔵」と名乗った人物が複数いたことも付け加えておきましょう。

 

さて、大きな功績を残した半蔵に、徳川家から褒美が与えられることになりました。その時に半蔵が求めたのが、「私を自由にしてほしい」ということだったのです。願いがかなって自由になった半蔵は、日本中を旅します。

 

この時使った偽名が……そう、「松尾芭蕉」なんです。

 

考えてみてください。当時は現在のように自由に旅はできませんでした。関所を超えて違う地方に行くことは、我々が外国に行くようなもの。その時代に芭蕉は、有名な「奥の細道」の旅程以外にも、ずいぶんいろいろな場所に足跡を残しています。

 

あそこまで好きなように行き来できたのは、権力のお墨付きがあったからこそとしか考えられません。

 

また、当時の道は今のように整備されてはいません。山越えなんてさらに大変なことです。

 

しかし「奥の細道」の記述に従えば、芭蕉は一日に数十キロ単位で移動していました。

 

芭蕉は当時としては決して若くない四十六歳でした。

 

そんな年齢の人間が徒歩で数十キロ移動するなんて、これはどう考えても特殊な訓練を受けた「忍」じゃないと無理です。

 

実は芭蕉の出身地は、「伊賀上野」です。そう、あの忍者で有名な。芭蕉という人物は知れば知るほど深いんですよ。

 

芭蕉は、ただ俳句を作るためだけに「奥の細道」の旅に出たわけじゃなかったんです。

 

旅をしながら「かごめかごめ」の歌を全国に広めていったのです。その理由は、もしかしたら徳川の意を受けてかもしれません。

 

埋蔵金、すなわち財力があることを各地の大名に示し、反乱してもムダだと思わせるため。

 

または全く逆に、各地にヒントをバラまくことで、幕府に何らかの圧力をかける意図があったのか……。いずれにしろ「かごめかごめ」という歌は、ただの童謡ではないようです。

 

芭蕉と半蔵の家系図がつながっていないと指摘する人もいるでしょうが、人の手で書かれたものは、都合のいいように書き換えることが可能です。

 

いつの間にか何かが入れ替わった可能性は誰にも否定できません。あのキリスト教の「聖書」も、権力者によって都合のいい部分が残され、今に伝わっているのです。

 

我々が習ってきた歴史だって、どこかの時点の権力者が都合よく編纂したものかもしれない。この芭蕉と半蔵のお話を語る僕にだって、何かの意図があるかもしれない……。そんな意図かって?それはいつか明らかになる時が来るかもしれませんね。

 

信じるか信じないかはあなた次第です。

出典 ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説―信じるか信じないかはあなた次第

「奥の細道」には150日間かけて600里(約2400キロ)旅したことが記されています。

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